クリニック

Female Wingセンター長の伊藤 淳(じゅん)より

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 皆さま、こんにちは。宇都宮セントラルクリニック Female Wingセンター長の伊藤 淳(じゅん)です。昨年の9月末に、この乳がんブログ セカンドステージを開始しましたものの、更新をしないままいつの間にか3ヶ月以上経過してしまい・・・大変たいへん失礼致しました(o_ _)o
いやー、書こう書こうとは考えていたのですが、なかなかテーマが思い浮かばず・・・。もともと僕はお出かけするのがとても好きで、2-3日でも休みがあれば弾丸旅行的にアジアのどこかに飛び出して、紀行文でも書きたいところだったのですが、このコロナの影響で海外はおろか国内のお出かけもままならない状況で。
 そのようななか、どうして突然今回?とお思いの方もいるかと思いますが、どうしても今夜中に、いまの気持ちを留めておきたいと思う出来事がありまして、筆をとりました。前回と同じように、切ない気持ちの内容となってしまいますが、どうかご了承いただければと思います。
(なお以下には、ある患者さまについてのお話しが出て参ります。患者さま、ご家族さまのプライベートな内容、デリケートな内容はお出ししないように十分に気をつけながら書いていきますが、もしも不適切な内容がございましたら、ご指摘・ご教示いただけますようお願い致します。)

ある患者さまの旦那さまからの突然の連絡

 今日の午後の外来も終わろうとする頃、とある方からご連絡をいただきました。私が獨協医大にいたとき、主治医として担当していた患者さま(Eさん、とします)の旦那さまからでした。

 数日前、Eさんが永眠されたとのご連絡でした。

あまりに突然のことで しばらく呆然としてしまいました。
そして、Eさんとのいろいろな場面が次から次と浮かび上がってきて、自然と涙がこぼれていました。

 Eさんは、僕が獨協医大に最初に赴任して1年ほど経過した頃から 主治医として担当させていただいた患者さまでした。僕と同年代であったこともあり、とても気さくにいろいろお話しをしてくれて、僕をとても頼りにしてくださった、向日葵のようにとても明るい笑顔が印象的な患者さまでした。
その後僕は、福島医大の医局人事で、いったん一年半ほど獨協を離れ仙台市および伊達市の病院に勤務したのですが、その後また獨協に戻り、再びEさんの担当となれたとき、Eさんがとっても喜んでくれたのを覚えています。
ただその後、大学病院の事情で獨協医大を離れ、現在の宇都宮セントラルクリニックに異動することが決まってきた、ちょうどその頃、Eさんに 乳癌の遠隔転移が起きてしまいました。
 私としても、Eさんの治療をこれからもずっと担当したかったのですが、当院では、まだ再発転移乳癌の薬物治療が十分には行えない状況でした。Eさんのこれから先の治療のことを考えると、このまま獨協にいて、僕の代わりに来る先生に引き続き診てもらうのが、Eさんにとっていちばん望ましく、そのことをご本人や旦那さんとよくお話しをしましたが・・・
それでもEさんは 僕について当院に移ることを強く希望、決断されました。

 そこまで僕を信頼してくれる、Eさんの思いになんとかして応えなければならない。
・・・しかし、当時できることは限られ、Eさんの治療はやはり大学にお願いするしかなくなってしまいました。いったん当院に移っていただいたEさんと旦那さんには、大きなご心配をおかけしてしまい、本当に申し訳なく感じています。

 と、そこでひとつ転機があり、Eさんは隣県のわりと遠めのところから通って下さっていたのですが、それならば自宅から通いやすいところでの治療を希望され、獨協での私が最も信頼する乳腺外科の後輩が、その隣県の病院に異動して勤務していたので、これからのEさんの再発転移乳癌の治療をその後輩にバトンタッチできることとなりました。この後輩、獨協時代に本当に熱心に私の元で勉強してくれた先生で、自分が言うのはおこがましいのですが、いわゆる「伊藤イズム」を受け継いでくれた唯一の後輩。この後輩になら、絶対に安心して任せられる。本当に、この後輩には感謝しています。

再発転移乳癌の治療

 というわけで、Eさんはその後輩の元での再発転移乳癌の治療が始まり、私には メールでときどき相談をしてくれたり、状況を報告してくれたりしていました。
 ・・・しかし、乳癌の遠隔転移を根治するのは非常に困難であること、それは現在の最新医学でもまだ克服できていない、とても厳しい現実・・・。
 病状の変化に伴い薬剤を変更していく状況は、Eさんがその都度報告してくれていましたし、薬剤の選択や、症状についてなどいろいろ相談をしてくれていました。きっと、とても不安で心配であっただろうと思います。とてもこわかっただろうと思います。でもそのようななかでも、とても元気に、朗らかに、メールをくれるEさんに、かえっていつも僕の方が助けられていました。
 僕からのメールを とても心強く受け止めてくれているとのこと。いつかEさんがこんなふうに言ってくれました。
 「先生からの言葉、すごく心強い!! 勝手に応援団長を任命します!!」
 もちろん喜んで!応援団長をお引き受けしました。

「 どーか癌が小さくなりますように
 何十年も生きられますように 」

ある日の夜、Eさんが 満月にお願いをしたことばです。
僕も同じように、強くお願いをしました。なんてったって応援団長ですから。

・・・その後、しばらくEさんからの連絡が途切れ、
どうされたか・・・とても心配をしていました。

そして今日の夕方、旦那さまがご連絡を下さいました。

後輩にも連絡をとってみました。
Eさん、本当に最後まで頑張られたとのこと。
そして、最後までご自宅で、ご家族と一緒に過ごすことができたとのこと。

旦那さまとのメールのやり取りの最後に、旦那さまがこう言ってくれました。
「この状況なので中々難しいですけど、〇ともよく話してましたが
 一緒に飲みにでも行きたいです。いつでも遊びに来て下さい。」

このお言葉を読んで、僕は 声を上げて泣いてしまいました。

コロナが落ち着いたら、
Eさんの御霊前に Eさんに逢いに、そして旦那さまと杯を酌み交わしに、
Eさんが愛されたご家族がいらっしゃる街へお伺いしよう、そう思っています。

そして、Eさんのためにも、Eさんが信頼してくれた そのお気持ちに答えるためにも、
僕は 今あるこの場所で 自分の生命を燃やし尽くすくらい懸命に 頑張って行かねば、と思いました。

 

 
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